連載:仕事遍歴12 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/ワコール退社、転落人生の始まり

しかし、このワコール退社が転落人生の始まりだった。転職した新しい会社は1年余りで辞めてしまう。理由は帳簿が合わないことで、営業用のサンプルを売り歩いて小遣いにしているのではないかと上司に疑われ、それがキッカケで喧嘩となり辞めてしまった。西田は「辞めたくもないワコールを辞めてまできてやったのに」という思いが強いだけに疑われたことに腹が立って仕方がなかった。
この二度目の会社退職後の生活は「厳しい」というよりも「悲惨」な生活だった。家族を支える月々の金が全くなくなった。生活費を工面するために友人や知り合いを訪ね金を借り歩いた。そのうちだんだんと親しい友人も離れていく。八幡商業時代の担任で、ワコールでは上司だった木本寛冶には2回電話した。伝えたかったのは「ワコールに戻りたい」という気持ちだったが、電話口で話していると、そのことが喉元まで出てきても言葉が詰まり声が出てこない。ついに言い出せずに終わった。
かつて世話になったワコールの川口郁雄の自宅にも出かけ金の無心をした。家を尋ね事情を話し「金を貸してください」と頭を下げた。目の前には川口夫妻が座り黙って話を聞いている。しばらくすると、ふたりして席を立ち台所で何やらひそひそと立ち話をする。そして、西田の前に座り「うちはお前に貸す金はない。だが、渡す金はある」といって10万円を封筒に入れて渡してくれた。涙が出るほどうれしかった。川口にはワコールを退職するときに餞別も貰っていた。翌年、金を返しに川口家を再び訪れたときには「もう返さんでもいいのに」と言ってくれた。川口郁雄はそういう人間だった。
この頃の西田はその日暮らしの労務者だった。街で偶然出会った同じような境遇の人間と一緒になり、岐阜の問屋からブラウス、シャツ、ズボンなどを借りて売りさばいたりする行商人のような仕事をしていた。電車に乗る金もない。落ちていた期限切れの定期券を拾い、それを駅員に分からないように無賃乗車しながら品物を売り歩いたり、電車の中で見つけた新聞を拾い、そこに掲載されていた求人広告を見て仕事探しする毎日だった。
一緒に死のう
そんな生活もだんだんと行き詰まり、このままではどうしようもないと塞ぎ込むようになる。そして妻の久美に「もう俺にはどうしようもできない。一緒に死んでくれないか」と一家心中とも受け取れる心情を吐露した。妻の久美はしばらくして「分かりました。一緒に死にましょう」と言う。これには、さすがに西田も塞ぎ込むどころか驚いた。度胸の据わった毅然とした態度に、逆に励まされるようになる。久美は続けて話す「もう一度、あなたがやりたいことを頑張ってみなさい。それでもダメなら一緒に死にましょう」。西田は翌日から再び拾った定期券を使い無賃乗車を繰り返しながら京都や大阪の問屋や知り合いを尋ね歩き仕事探しに奔走するようになる。

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