ブラジャーの戦後 半原15 終戦直後の混乱 戦争協力者として処罰される?

(平成14年の半原地区)

8月15日の終戦から2週間後の8月28日にはアメリカ軍先遣隊が厚木飛行場に降り立ち、30日にはダグラス・マッカーサー連合軍総司令官が到着した。同時に日本全国の空港や港からアメリカ軍が続々と上陸を開始した。厚木飛行場に近い周辺の町村役場では無用の外出を避けるように住民に呼びかけている。半原撚糸組合の「百周年記念誌」では当時の混乱した半原の様子を伝えている。「半原の通りでは厚木周辺から婦女子を避難、疎開させる人も大勢いた。リュックサックと風呂敷包みを背負い、丹沢の方向に逃げていく人たちがひっきりなしに通っていた」。戦前から「鬼畜米英」と教えられていた日本人がアメリカ軍の登場を前に、恐怖で逃げ惑う姿も決して不自然ではない。
もうひとつ半原の人たちを恐怖に陥れることがあった。それは「戦争犯罪者」という噂だった。半原は戦前から陸軍や海軍の軍事物資を生産供給していた繊維産地で、それが原因で戦争協力者として処罰されるのではないかといった噂が村中を駆けめぐった。終戦直後の半原には軍需用に生産した製品だけでなく、その原材料がたくさん残されていた。一部の工場主は噂を恐れ、それらの残ったものを焼き捨てたり、山の中に隠したりしたところもある。だが、いつになっても米軍は村にやってこなかった。いつしか噂も遠のいていく。ここから、ようやく半原の戦後が始まっていく(続)。

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