ブラジャーの戦後 半原13  手探りのブラジャー生産 そして、高津産業の快進撃が始まる

高津産業は最初の輸出用ブラジャーサンプルを作る時、アメリカ製ブラジャーひとつしかなく、仕方なく小島繊維工業でパターン図を写させてもらったり、資材を独自に作ったりと試行錯誤を繰り返した。そんな当時の様子が平成11年(1999年)に出版されたダッチェス創立50周年記念誌「一以貫之」に出てくるので引用する。「まずフック・アイをどこでどのように作成すればよいのか?。ショルダー(ストラップ)のアジャスト(抜き)はどこから調達すればよいのか?何もかも未知数。(中略)そもそも原型と一枚のサンプルしかなく、まだ日本女性の体も見たこともない者が、アメリカ女性のパターンをグレーディングすることは言うに言われず苦労した。(中略)これを支えてくれたのはアメリカ軍婦人部隊の制服としてブラジャーに関するパターン図などがあったことだ。しかし、正しいグレーディング数値を見いだすまでには、サイズ拡大とともに形が崩れてしまい何度も修正した」。当時、原型パターンから日本人の体型に合わしたグレーディングにはかなり苦労させられている。しかし、できたファーストサンプルは見事にアメリカ人バイヤーのお気に入りとなり受注に成功した。ここから高津産業の快進撃が始まる。

 

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