阪急三番街商店会開業50周年/永年勤続従業員表彰式でアイオイ商会から4人表彰

35年勤続表彰 萬喜ツル子さん
15年勤続表彰 内藤和美さん
7年勤続表彰 日下真理子さん
5年勤続表彰 星野昌美さん

2019年11月29日阪急三番街商店会開業50周年を記念して、永年勤続従業員表彰式が大阪新阪急ホテルで開催された。式典では、開業時からテナント出店している靴下・下着の専門店アイオイ商会阪急三番街店「レ・バ・エレガンス・アイオイ」の従業員4名が永年勤続で表彰された。


35年勤続で表彰された萬喜ツル子さんは、昭和55年秋33歳の時にアイオイ商会難波店に勤務するようになり、しばらくしてから阪急三番街店で働くようになる。1980年代から1990年代の靴下、ストッキング黄金時代には店の先頭に立ち昼夜を問わず働き続け、その忙しさが自分を強くしたと話している。平成26年(2014年)には同じく阪急三番街商店会から永年従業員勤続30年の表彰も受けている。
1980年代にアイオイ商会が多店舗化している最中には、山口信子社長から「いまは、小さい店だが、そのうちいっぱい店を出して大きくするから」と聞き、一緒に夢中になって働いた。当時の山口社長はいまも変わらないと話している。

内藤和美さんは、永年勤続15年表彰。2003年にアイオイ商会に入社して、すぐに阪急三番街店で働き出した。自宅のある高槻から通勤して16年が経ち、顔なじみのお客様も増えて、毎日楽しく仕事に励んでいる。目標は「お客様に喜んでいただける接客」だと話す。

日下真理子さんは、永年勤続7年で表彰された。アイオイ商会に入社して20年が過ぎ、阪急三番街店勤務も7年になる。この店は開店から50年という歴史があるだけに、店の顧客も古くからのリピーターが多い。彼女もリピーターの方々に支えられ、教えられて毎日の仕事に励んできた。

星野昌美さんは、永年勤続5年で表彰された。何よりもお客様と会い楽しく話しをすることが楽しくてうれしいと話す。気がかりなのは、まわりの皆さんに迷惑をかけていないか、いつも心配になるとか。
アイオイ商会の山口信子社長は、阪急三番街店に1969年11月30日の開業当初からテナント出店し、まだ当時としては珍しかった靴下の専門店をオープンさせた。それから50年、店(レ・バ・エレガンス・アイオイ)を守り発展させてきた。この50年で開業当初から営業するテナントはわずか数店舗となり、入れ替わりの激しいショッピングセンターの世相を物語っている。そんな中でも多店舗化、インナーを含む新業態を開発し事業を拡大している。
2009年には別会社でレストランチエーン事業を運営する会社(株式会社エデンダイニング)を設立。翌年(2010年5月)には、イオンモール京都「京都北山ダイニング」1号店をオープンし和食、中華などの飲食チエーンの多店舗化に乗り出している。現在は、6店舗従業員160人を要するレストラン事業となり、靴下事業を超える事業規模に達している。
だが、そんな中でも、靴下専門店は山口信子社長にとって自分自身の原点だと考えている。それは、戦後の昭和20年代に、父山口貞治郎が愛知県豊橋市の自宅兼工場でアメリカから輸入された中古ナイロン靴下を再加工し製造した中古ナイロン再生長靴下(ストッキング)こそが、靴下事業に入るきっかけだった。当時「イカシ」(再生業者)と言われ、その中古再生長靴下は高額で売れる商売となる。
キリスト教系の三育学院大学卒業後、しばらくは家業の手伝いや法律家を目指した時期もあった。そのうち、家業の中古長靴下の仕事を手伝い広げるために、頻繁に大阪に通ったのが縁となり、昭和27年2月に大阪の日本橋1丁目にあったアパート2階の一室を借り長靴下の問屋業アイオイ商会を設立した。靴下は豊橋にあった山口家の家業でもあり、また、自分の事業家としての出発店でもある。 もうひとつ、靴下を原点だと考える理由がある。それは、店の女性従業員たちを信頼し応援することができた喜びと満足感だ。これは、アイオイ商会という社名の起源にもつながる。
創業の頃には、女性用の長靴下だけでなく、紳士靴下を豊橋から少し離れた新城市愛生郷(シンシロシ・アイオイゴウ)の靴下工場から仕入れていた。その工場では、戦後、若くして戦争未亡人となった山口信子と同世代の女性たちが寄り添い共同で生活し靴下で生計を立てていた。その姿に感動し、彼女たちのためにも、この靴下を売ろうという気持ちが芽生え愛生郷のアイオイをとり「アイオイ商会」という社名にした。山口信子の事業家の原点には、働いて生きる女性たちを応援する気持ちが原点にあり、それは、現在の従業員に対しても同じだ。
今回、表彰された従業員4人は、会社から託された責任と明るい笑顔で、毎日の仕事に接している。この阪急三番街店は、働く女性たちの明るい笑顔が店を元気にしている。


御礼、そして感謝
アイオイ商会 代表取締役社長
山口信子

このたび、弊社の従業員4人が阪急三番街開業50周年記念で商店会から永年勤続功労者として表彰していただきました。改めて専門店会の皆様に御礼と感謝を申し上げます。4人とも優秀な販売員で、お客様への丁寧な接客を心がけ、日々の仕事に精進してきたことが皆様に認められたと感謝しております。
阪急三番街は1969年11月に開業してから50年を迎えました。開業当時からいる店は、当店を含め僅かとなりましたが、一生懸命に働き良い品物をお手頃価格で提供することに徹してきたことが、長い間、お客様にご愛顧いただけたと思っております。
この50年は私にとってあっという間でした。50年前は靴下やストッキングの問屋業でした。昭和27年2月に大阪日本橋1丁目のアパート2階に自宅兼事務所として一人でアイオイ商会を創業したのが23歳でした。靴下を抱え大阪市内の天王寺、なんば、船場、梅田近辺はもとより京都や中四国の百貨店や小売店まで営業に歩きました。
その問屋業は百貨店卸が中心でしたが、そのうちに仕入先のグンゼ、カネボウが百貨店に直販するようになり、問屋業としての商売が難しくなり迷っているときに、縁あってショッピングセンター阪急三番街のテナント入居の話があり、すぐに応募して入ることができました。そのきっかけは、住友銀行梅田店の支店長や阪急電鉄株式会社取締役の木村滉三氏からの誘いもありました。
当時としては、靴下専門店という業態は他になく、まわりの方々は「単価の安い靴下でやっていけるのか」と心配してくださる方が大勢いたのを覚えています。しかし、店を開けると黒山の人盛り。我先に靴下を買い求めるお客様を、さばくのが大変でした。売れるスピードが速く品出しが追いつかない。メーカーからきた品物の入った段ボールを、そのまま投げて店先に並べていました。いま、思うと乱暴な話ですが、それでも、お客様は文句ひとつ言わず、喜んで買って行きました。
そんな中で、やってこれたのは、今回表彰された4人を含め、スタッフみんなの御陰だと感謝しています。みなさん、それぞれに家庭があり、日々の家族のことがありながらも、店が忙しいときや大変なときでも仕事に手を抜くことなく頑張っていただきました。
2014年からは別会社でレストランチエーンを経営しております。その1号店あべのハルカス13階の「京都北山ダイニング店」に行くと、真下に見える街並みを眺め感無量です。創業当時、靴下を持ちセールスしながら歩きまわり、天王寺の安い木賃宿に一人で泊まったことを思い出します。いまは、大勢の優秀なスタッフがおり、店のことは任せることができて安心です。
今回はいただいた永年勤続表彰に感謝するとともに、阪急三番街専門店会の皆様、そして、表彰された従業員の皆さんが、これからも末永く元気に働いて行かれることを心から願っております。

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