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カテゴリー:連載
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少女時代の戦争体験 /仕事遍歴山口信子(昭和3年生)株式会社アイオイ商会 代表取締役社長NO2
山口信子の人生を辿る上で戦争体験を切り離して語ることはできない。昭和3年10月29日浜松で生まれ浜松龍禅寺尋常小学校を4年生まで通い、その後は親の都合で名古屋市に移り、名古屋市岩塚尋常小学校に転入している。小さいときから… -
信仰と靴下が支えた人生/仕事遍歴山口信子(昭和3年生)株式会社アイオイ商会 代表取締役社長NO1
(画像はレバエレガンスアイオイ阪急三番街店) 靴下専門店株式会社アイオイ商会(大阪市北区本社)の山口信子社長は、昭和3年10月29日生まれの87歳。今年10月に… -
連載:仕事遍歴20 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/消費者を騙すようなものを作ってはいけない
西田清美は昭和26年に八幡商業高等学校を卒業し和江商事(ワコールの前身)に入社してから現在まで、人生の大半を下着とともに生きてきた。その下着を作り売る中で貫いてきたのは「消費者をだますようなものを作ってはいけない」という… -
連載:仕事遍歴19 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/ピエールカルダンと出会う
八幡商業時代からの友人が東京にいる。名前は服部良夫で現在は室内装飾の会社を経営している。服部は戦時中に父親の仕事の都合で東京の国民小学校6年生半ばで滋賀県草津に疎開し草津国民小学校に転入していた。 その服部は東京育ちの… -
連載:仕事遍歴18 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/シャルレとの出会い
ある日、神戸で下着の訪問販売で成功していたシャルレの林宏子がカドリールニシダを尋ねてきた。聞くと代理店の販売員が家庭を訪問し、そこに集まる主婦を相手に試着しながら接客してブラジャー、ガードル、ボディスーツなどを販売し好評… -
連載:仕事遍歴17 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/躍進した1980年代・・・その立役者は左甚五郎と呼ばれたデザイナー堀江昭二だった
1980年代に入るとカドリールニシダのファンデーション事業が飛躍的に伸びた。その最初の大口取引先は内外編物(現在のナイガイ)との取り組みで、その縁を作ってくれたのは東京の浅草橋にあるインナー生地問屋谷口商事だった。紹介さ… -
連載:仕事遍歴16 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/堀江昭二が来る
(画像は週刊現代1966年7月28日発売号) 話は前後するが、昭和41年の終わり頃に、ワコール時代の友人堀江昭二が尋ねてきた。聞くとワコールの塚本幸一社長と喧嘩して辞めたという。昭和40年にワコールでタミーガードル… -
連載:仕事遍歴15 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/資金繰りに追われる日々/エトワール海渡に救われる
株式会社カドリールニシダはブラジャー、ガードルなどファンデーション専業メーカーでスタートした。売り先は船場の二葉屋や寺内、その子会社で当時アメリカの施政権下にあった沖縄向け輸出を手がけていた寺内通商など。東京ではエトワー… -
連載:仕事遍歴14 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/昭和43年1月カドリールニシダ創業
野村を退職してから昭和43年1月にカドリールニシダを創業し、翌年昭和44年1月には株式会社を設立した。そのための資本金200万円を集めるには苦労した。自分の金は20万円程度しかない。友人知人から自宅に来る生命保険勧誘の女… -
連載:仕事遍歴13 西田清美(昭和7年生)カドリールニシダ会長/野村株式会社(ルシアン)から誘い
ある日突然、自宅のある桃山南口駅近くの市営住宅に野村株式会社(株式会社ルシアンの前身)の谷口と名乗る見知らぬ人が尋ねてきた。京都の野村といえば吉忠と二分するレースや生地を手広く扱う大手問屋で、その野村直三社長は京都の長者…